日本国内だけでなく、世界中のモノづくりを変えた「トヨタ生産方式」。カイゼンを続け、ユーザーの求めるものに応え続ける仕事人を描いた連載がはじまる――。
初めに 音階と遺題継承

何度失敗しても立ち上がる。だから成功する――

トヨタは創業時から順調に社業を伸ばしてきた会社ではない。何度も困難に直面し、その都度、苦労をして克服してきた会社だ。

創業後まもなく太平洋戦争が始まった。創業者である豊田喜一郎は、念願の乗用車をつくることができず、軍部の指示で軍用トラックを生産した。戦火が拡大し、トラックの部品調達が困難になると、独自の工夫を重ねて対応するしかなかった。例えば、ラジエーターに使う銅が不足したため鉄板で代用したが、鉄製ラジエーターはすぐに錆び付いた。左右2灯あったヘッドライトも、資材不足から中央の1灯だけに変更した。足りなくなった資材をかき集めてまで軍用トラックを生産せざるをえなかった。