新潟県の佐渡島に、かつて廃業寸前だった酒蔵「天領盃酒造」がある。2018年に酒造り未経験の24歳の男性が買収し、当時、史上最年少の蔵元となった。今ではファーストクラスの機内酒に選ばれるなど高い評価を得ているが、どのような苦労があったのか。ライターの本間ユミノさんが取材した――。
新潟県佐渡市にある「天領盃酒造」
筆者撮影
新潟県佐渡市にある「天領盃酒造」

24歳で“史上最年少の蔵元”になった

新潟港から船で最短67分の距離にある佐渡島で、日本酒業界に革新の風を巻き起こしている蔵元がいる。加登仙一さん(31歳)だ。

2018年3月、酒蔵の家系出身ではない加登さんは個人で資金を調達し、佐渡島にある酒蔵をM&A。24歳にして当時史上最年少の蔵元となった。M&A先は「天領盃酒造株式会社(以下、天領盃酒造)」。経営難に陥っていたうえ、後継者不在で廃業が危ぶまれていた酒蔵だ。

加登仙一さん
写真提供=天領盃酒造
加登仙一さん 「企業を買収した人」を想像していざ会ってみると、思っていたよりも爽やかで穏やかな方だった

加登さんの造る酒は、2023年に日本航空国内線ファーストクラスの機内酒に、2024年には国際線ファーストクラスのラウンジ提供酒に採用された。独立行政法人酒類総合研究所が開催する「全国新酒鑑評会」では2年連続金賞を受賞、世界一美味しい市販酒を決めるとされている世界最大級の日本酒品評会「SAKE COMPETITION 2023」では純米酒部門6位(出品数273点、1〜10位までが金賞とされる)を獲得。2025年4月からは、ユナイテッドアローズとのコラボ日本酒も販売するなど、幅を広げている。

古くからファミリービジネスが主流の酒蔵に吹いた、まだ青さの残る新しい風。青年「加登仙一」はいかにして史上最年少蔵元となり、廃業寸前だった酒蔵を立て直したのだろうか。

「美味しい」とは言えない酒だった

天領盃酒造の歴史は、佐渡島にあった3蔵が合併し「佐渡銘醸株式会社」として1983年に創業したところから始まる。日本で初めて酒造りにコンピューターを導入し、近代化を進めた。蔵人たちが勘で行っていたことを機械化することによって、少ない手間で酒を生産できるようになった。

大量かつ安価に製造できることを強みとしていたが、それがブランドとしての魅力を失うことにつながってしまったのか、業績は悪化の一途を辿る。2008年に倒産し、民事再生法により天領盃酒造として生まれ変わった。

創業当時ののれん。今も蔵を見守る
筆者撮影
創業当時ののれん。今も蔵を見守る

しかし、中身は何も変わっていなかった。設備投資も行われず、大きな経営改善は見られなかった。時代の流れに応じて、求められる酒も変わってくる。しかし、味に対する意識が薄れて「ただ酒になればいい」と思っていたのか、決して「美味しい」とは言えない酒だった。「潰れた時と全く同じやり方で、潰れた時と同じ酒を造っていては何も変わりません」と話す加登さんが経営権を引き継ぐ2018年まで10年。その間の累積赤字は1億2000万円にまで膨れ上がっていた。